ひとつの議題
学校はなぜ中途半端な時期に始まるのだろうか。
うちの大学は25日から授業再開となったし、他の大学でも24日授業開始のところもあったようだ。
それらの曜日は木曜と金曜、一日だけ授業をやってまた二連休。なぜ切りよく月曜からとか10月からとかにしなかったんだろう。
金曜日は研究室にいった。
三研究室合同でやってるミーティングの予定を決め、うちの研究室だけのミーティングの中身を考えた。やることが無い・・・
会議の9割は無駄だ、という誰かさんの言葉は真実を述べている。
毎回、毎回、何も得るものが無く、ただの時間と労力の無駄遣いの感が残っていた。9割の無駄をなくすべきである。僕は幹事である、したがってその権限はあるはずなのだが、
まさか、「ミーティングは月に一回30分だけにします。」
とは言えない。
何も生み出されない議論を交わすことに生きがいを感じている人が蔓延っている限りは。
そ奴らが去ったら、議論の相手がいなくなるから議論好きの先生の長話も今までよりはちょっとは緩和されるのではないだろうか。
僕も結論の出ない議論を一人でしてみようと思います。
お題は「ブログに愚痴を書いていいものか。」
一時期、当時所属していた体育会のことでブログにちょっと過激な愚痴を綴っていたことがあった。そのときは穏やかでない思いをどこかにぶつけることで気持ちが晴れやかになるのだが、あと後読み返してみると、自分の器の小ささとか当時の自分に対する不快感を感じることもあった。
もちろん、人が読んでいい気もしない。
それ以来、できるだけ愚痴はできるかぎり自分の中に秘めておくことにした。
しかし、である。mixiなどの流行でその人が書いた日記が、自動的に周知され、誰が足跡を残していったか(誰が日記を読んだか)を把握できるようになってしまったために、読者に対して無意識に必要以上に気を遣うようになったと感じている。
それでは、書きたいことがあまり書けなくなる。
このブログは自分の日記である。実は、毎年ブログを製本して、形として残し自己満足に浸っているのだが、やはり残すからには本当の自分の姿を残したい。その時の自分が感じていた、思っていた本当のことを残したいという気持ちがある。
ブログはウェブに公開しているという時点で誰かに読まれることを想定して書かなければならないものではあると思うが、どこまで本音を吐いてどこから読者を意識するのか、の線引きはブログを4年間続けてきた今でも決めかねている。
ただ、愚痴や罵詈雑言を綴ることで、自分のある意味の“幼さ”を出してみてもいいのかな、とは思う。それが今の自分の正体だから、別に取り繕う必要もないだろう。自己満足に暴走して、人からは読まれなくなる日記になるのはどうかと思うが、これからはできるだけ、何も纏わない自分の心の声をところどころに散りばめていこうと思う。
結局、金曜日はあるはずの授業も先生がこなかったため休講扱いとなった。












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